バクテリア集団の長時間観測に向けた微小流体デバイス開発:広域マイクロ灌流系
微小流体デバイスと微生物実験
近年、微小流体デバイスを用いた微生物観察実験が広く行われています[A]。微小流体デバイスでは、半導体製作工程における微細加工技術を応用することでμmスケールの微小な流路構造を作ることができ、それによって多種多様な微生物の観察実験が実現できます。特に、流路中に新鮮な培養液を恒常的に送り込むことで、微生物の1細胞的・集団的な振る舞いを、人の手で制御された環境下で観察することができます。従って、極限的に単純化された状況で生き物の振る舞いを観察し、生命現象を物理学実験の問題に落とし込み理解する上で、微小流体デバイスは非常に有用なツールと言えます。
特に私達は、バクテリアが集団となった時の協同的な振る舞いを、統計力学的な視点を活かして理解することを試みています。例えば、キッチンのシンク、歯茎、医療器具などに生じる高密度なバクテリアの塊はバイオフィルムと呼ばれ、私達の日常生活の至る場所に見られます。バイオフィルム内部において、細胞同士は力学的な相互作用はもちろんシグナル分子を介した情報伝達も行っており、集団全体として協同的な振る舞いを見せることがあります[B]。私達は、こうした高密度バクテリア集団を制御された環境で観察し、一細胞の挙動は比較的よく理解されているバクテリアがどのような集団的性質を獲得するのか、理解することを目指しています。
広域マイクロ灌流系を用いた新しい実験手法
微小流体デバイスは微生物に関する様々な研究に使われていますが、高密度のバクテリア集団を一様な環境下で長時間計測することは困難でした。標準的な微小流体デバイスは、PDMS(ポリジメチルシロキサン)という人工エラストマーでできた流路ですが、培養液が供給口から供給されるため、高密度バクテリア集団の場合、栄養成分は供給口付近のバクテリアで使い果たされてしまい、遠くのバクテリアには栄養が行き渡りません。
そこで私たちは、メンブレン型の微小流体デバイスに注目し、高密度バクテリア集団の実験観察に適した新しい系を開発しました(図1)。カバーガラス上に、微細加工技術により任意の形状のくぼみ(ウェル)を加工しておき、そこにバクテリアを入れた状態で、生体親和な接着手法(biotin-streptavidin結合)で上部から多孔質膜の蓋をします。これにより、ウェル内部にバクテリア細胞をトラップしたまま、多孔質膜を介して空間的に一様な培養環境制御が可能となります。従来の手法[C]では、多孔質膜としてセルロース多孔質膜が使われていましたが、大きなウェルに対しては膜がたわんでしまうことから、広範囲に及ぶ実験観察が困難でした。そこで私達は、剛性が高いPET(ポリエチレンテレフタラート)多孔質膜を用いてセルロース膜を補強することで、膜のたわみを解消し、広範囲に及ぶバクテリア集団の高度な制御実験を可能にしました[1]。私達は、このデバイスを広域マイクロ灌流系 (Extensive microperfusion system, EMPS) と名付け、細胞集団が関わる様々な定量的実験に活用できるのではないかと期待しています。
私達は広域マイクロ灌流系を用いた様々な研究テーマに取り組んでいます。大腸菌集団の細胞サイズの分布法則や、高密度大腸菌集団の混み合い効果、集団同士の競合パターンの観察から、バイオフィルムの実験観察まで、バクテリアを用いた幅広い研究テーマを展開・計画しています。
参考文献
(当研究室)
[1] T. Shimaya, R. Okura, Y. Wakamoto and K. A. Takeuchi, Communications Physics 4, 238 (2021) [web]; プレスリリース「変動する環境における、細菌の細胞サイズ分布にまつわる普遍性の発見」[link].
(他グループ)
[A] G. Velve-Casquillas, M. L. Berre, M. Piel, and P. T. Tran, Nano Today 5, 28 (2010) [web].
[B] L. Hall-Stoodley, J. W. Costerton and P. Stoodley, Nat. Rev. Microbiol. 2, 95 (2004) [web]; H. Boudarel, J. Mathias, B. Blaysat and M. Grédiac, npj Biofilms Microbi. 4, 17 (2018) [web]; C. Fuqua, A. Filloux, J. M. Ghigo and K. L. Visick, J. Bacteriol. 201, e00118 (2019) [web].
[C] I. Inoue, Y. Wakamoto, H. Moriguchi, K. Okano and K. Yasuda, Lab Chip 1, 50 (2001) [web].
主に関わっているメンバー
嶋屋 拓朗、竹内 一将